SHINKIのメモ帖

読書・時事ニュース・日常生活の中での雑感です。

二郎の命日

今日は二郎の命日です。私は四日前に還暦を迎えましたが、
一卵性双生児の一人としてこの世に生を受けました。その片方が
二郎でした。しかし、生れてからこの日に召天しました。
生れたときは共に未熟児で保育器に入れられましたが、二郎の方がよく動いていて、私はあまり動かず、おとなしかったそうです。しかし、現実は、私の方が、残りました。母乳が飲めなかった赤ん坊で、鼻から管を通し、一滴、一滴ずつ、注射器で慎重に流し込んだそうです。
 そのことを想像する時、両親に対して感謝の念と生命の尊さを覚えます。また、よく、今日まで生きてこられたと思います。
二郎はこの世にはいませんが、二郎の死は私のためだと受けとめています。なぜなら、キリストの贖罪の死と重なる思いがするからです。また、私がキリストに出会う道を備えることでもありました。そういう点で神は二郎の四日間の短い生涯は無には決してなさいませんでした。
私達は神の中に生き、動き、存在しています。(使徒行伝17章28節)
また、ヨブ記でヨブはこのように言いました。
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
さらに、キリストはこのように約束しています。
「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」
このように神は恩恵(めぐみ)と慈愛に富んだ方で、私に必要な方々を折りにふれて出会わせて(用意して)くださいました。
さて、この一年間、出会わせてくださった、お一人、お一人の方々に感謝いたします。本当にお世話になりました。
新しい年もよろしくお願いします。良い新年をお迎えください。