SHINKIのメモ帖

読書・時事ニュース・日常生活の中での雑感です。

信仰の自由のためにも・・・

 先日、「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(案)に対するパブリック・コメントを書き、提出した。

 2020年以来、国の新型コロナ政策の中、結果的に国民は翻弄されたと言って過言ではない。毎日、新型コロナ陽性者数を報道され続けてきた。また、新型コロナ感染者数のカウントの仕方もおかしかった。
 地方自治体の職員も国の通達で、「新型コロナの感染者数のカウントの仕方」に当惑を感じたという職員の光景がSNS上で流れた。病院で亡くなれば、その原因は新型コロナ感染症によるものだとするわけだ。

 生活様式もがらりと変わってしまった。町はほぼ、マスクしている人ばかり、夜の飲食店は閉められ、学校は遠隔授業を強いられ、ソーシャルディスタンスという言葉が耳にするようになった。企業はリモートワークという在宅勤務が当たり前のようになった。
 地域のキリスト教会も例外ではなかった。手指を消毒して、マスクをはめ、礼拝にのぞむ。説教者は講壇にアリクル板を置き、メッセージを語る。
 教会によってはおかしいと感じてマスクをはずして、アリクル板もおかず、通常の礼拝スタイルを守り通したところもあった。しかし、教会員の中にPCR陽性者が出たら保健所から指導が入り、徹底して対策を講じられた。アクリク板を置き、体温計を測り、マスクするようになった。

 もし、地域教会にもっと本格的に強硬な行政指導が入るとき、地域教会はどうなるのだろうかとも思った。言論の自由、集会の自由、信教の自由等についてだ。

 それが今回の「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(案)の中に潜んでいる。223ページもある文書だが、残念ながら、今までの政策の総括がなされていない。そのベースで作成されている。形にはなっているが、国が出しているワクチン情報は世界から見ると誤情報だったという認識が全くなく、空虚なものである。

  また、国民の間の情報の共有で誤情報、偽情報だと言われると、何も発信できなくなる。むしろ、国が出しているワクチン情報について疑問の声すら上げられない。これは教会で説教者や信徒が語るメッセージでそのような内容に触れられないことになるかもしれない。ことに今は動画で説教(礼拝)メッセージを流すことができるようになった時代になっている。

 直接的にはないにしろ、言論統制は私たちの信仰生活に少なからず及ぶ。これはキリスト者に限った話しではなく、キリスト者でない方も同様だと思う。

 そういうことを踏まえても、言論統制になりかねない、この「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(案)に対して私たちは国に異議申し立てを言わなくてはならない。パブリックコメントは国を動かすチャンスである。