SHINKIのメモ帖

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11月14日の礼拝メッセージ(勝越のメッセージ)その1

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【はじめに】

今日の中心聖句は創世記1章1~4節。

創世記1章の天地創造の物語は有名だが、多くの人がなかなか信じられないでつまずく。六日間の神は創造されたというのだが、六日間とは自分の頭では合理的に想像しがたい。実は、20代の後半から聖書を読みはじめた私もその一人だった。

 

つまづきの原因は①進化論の影響、②聖書観の問題、の二点である。

 

クリスチャンホームに育った子どもたちは神が天地創造の物語を素直に信じやすい環境にある。しかし、ノン・クリスチャンだった私には神が天地万物を造られたという創造論を知らなかった。学校教育で教えられた進化論しか、頭になかった。ある日、福音書を読んでいたときに自分には「救い」が必要だということに気づき、イエスの十字架の御業を信じざるを得なくなった。そのあと、やっとこの天地創造の神の御業を信じることができたのである。

 

また、聖書観の問題も大きい。聖書を他の本と同列に扱ったとき、神性(神様の御性質)は歪められ、低くされてしまう。その結果、神のかたちに造られた人間の存在価値も低められることになる。聖書のことばは究極的にはイエス・キリストだ。聖書を他の本と同列に扱うとしたら、それは神を冒涜することになる。

 

聖書の御言葉に向かいあうとき、それは人格的な交わりなのである。イエス・キリストと向かい合って顔と顔と合わせて語り合う。そこに喜びであり、六日目に最後の被造物としてご自身かたちに似せて人間を造られ、人間を喜びたいのだ。神から一方的にプロポーズ?し(呼びかけ)ている。

 

つまづきを防ぐ解決方法は聖書の読み方にあるかと思う。パワーポイントに書いたので参考にしていただきたい。